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マレーシアとクアラルンプールについて

マレーシアロングステイ物語(父の手記)

マレーシアは東南アジアのほぼ中央に位置し、タイの南側にある半島とボルネオ島北部にある東マレーシアから成り立っています。その面積の合計は約33万平方キロで日本の約90%位の大きさの国です。しかし人口は約2千万人で、人口密度は日本に比べて非常に低く、国土面積の約60%は未開発のジャングルです。したがってマレーシアは発展途上国で未開の地という先入観を持っている方が多いと思います。しかし、1週間も住んでみればこの先入観が間違いと言うことに誰でも気付くことでしょう。アメリカのロサンゼルスび高速道路にも引けを取らないハイウェイネットワーク、世界一の高さを誇るツインタワーを含む高層建築群、超高層コンドミニアム(日本でいう30階建ての高級マンション)、車が多いことなど、その生活環境はまさに先進国です。マレーシア政府は2020年に先進国の仲間入りをすることを目標に、いろいろな政策を実行に移していますが、既に先進国の仲間入りを果たしているか、限りなく先進国に近い状態と思います。国民性によって少々価値観は異なるところもありますが素晴らしい国です。

都市国家として先進国の仲間入りをしているシンガポールは、マレーシアが英国植民地から独立した後にマレーシアから再独立してできた国です。ほぼ赤道直下のシンガポールの北側に隣接するマレーシアですので、さぞかし暑い国であろうと、これもみんなが想像することですが、1年中30度前後の気温で、日本のように湿度が高く猛暑ということは殆どありません。台風も地震もない国ですし、雨季と乾季は一応あることになっていますが、著しい変化はありませn。日本の梅雨のように雨の日が何日も続くことも、じめじめした日が何日も続くというようなこともありません。雨季といえども、基本的に午前中は雨が降りませんし、午後に必ずスコールが来るとも限りません。

マレーシアの国教はイスラム教です。しかし、宗教の自由は認められており、クリスマスのシーズンにはショッピングモールの中には大きなクリスマスツリーが飾られますし、クリスマスのバーゲンセールも大々的に行われます。またインド人も結構多いのでヒンズー教のお祭りもあります。それにしてもマレーシア人の宗教心には感心します。日本人は戦後、宗教心を忘れてしまったようですが、マレーシアでは毎日の生活は宗教と切り離すことはできません。毎朝5時30分にはモスク(イスラム教の寺院)からはスピーカーでお祈りが約30分間流れます。したがって、私たち外国人や異教徒の住宅探しはモスクと少し距離を置くことが必要です。電車の駅やショッピングセンターは勿論のこと、ゴルフ場にもお祈りの部屋が設けられています。私が所属するトロピカーナゴルフ倶楽部にもクラブハウスとコースのティーグラウンドのそばにもいくつかお祈りの部屋があります。毎週金曜日のお昼にはモスクでお説教がありますので、仕事を止めてお祈りに行きます。金曜日のお昼前後はモスクの近くの道路は大渋滞です。

イスラム教が国教ですから国立の大きなモスクもありますが、マレーシア人すべてがイスラム教ではなく、約55%がマレー人でありイスラム教徒です。中国系のマレーシア人は仏教や儒教を信仰し、それぞれ約17%、12%、インド系マレーシア人はヒンズー教で約7%、その他の民族でキリスト教が約7%というデータがあります。ヒンズー教の若い人たちも非常に熱心にヒンズー教の寺院に通っているようで、そのためかどうかわかりませんが、その他の民族も宗教に対する関心は非常に高いようです。

このように、マレーシアは多民族国家なのです。宗教も、生活習慣も、肌の色も、言葉も異なる民族が一つの国を構成するという状態は、単一民族で構成される日本ではなかなか想像できませんが、お互いの民族を尊重し合い、仲良く暮らしているのを見ると、イスラム教とキリスト教のルーツで争っている最近のテロ騒動に強い憤りと空しさを感じます。

勿論、マレーシアには多民族国家なるが故の悩みも多いようです。マレーシアの近代史を調べてみると、第2次世界大戦が始まって2ヶ月後には日本軍は英国の植民地であった全マレー領土を占領しています。当時の英国はドーバー海峡を隔てたドイツとの戦争で、アジアの植民地の統治には力を入れることができなくて、マレー人は失望していたようです。
そこに日本人が侵略して入ってきたので、日本軍に少し期待を持ったようですが、日本軍人たちのゆがめられた正義や無軌道な行動、更には有能な行政官がいなかったこともあり、日本への期待は失望へと変わってしまったようです。しかし、日本軍は人材不足でマレー人を責任ある地位につけざるを得なかったので、マレー人には自立精神が芽生え、マレーシア独立の大きな原動力になったとされているのは、不幸中の幸いだったと思います。おそらくこの考えは、親日派のマハティール前首相の時代に書かれているので、私は100%信用するわけではありませんが、全くの嘘でもないようです。
そして1957年、英国連邦の一つとして、議会制民主主義国家のマラヤ連邦が誕生しています。このとき独立を勝ち取るために心血を注いだ初代首相のトゥンクー・アブドゥル・ラーマンは、現在でも「パパ・ムルディカ」(独立の父)と呼ばれ、全国民から尊敬を集めています。

マレーシアは多民族国家であるということは先にも述べましたが、これは英国の植民地政策として中国やインドから多くの移民を受け入れ、市民権を与えた結果です。そのため、独立後は民族の勢力争いが始まるのですが、お人好しのマレー人に対して、蓄財に長けた中国人とインド人の対立は政治の世界にも現れるようになり、民族対立の暴動があちこちで起きたようです。その結果採られた政策がマレー人を優遇するブミトラ政策です。ブミトラとは「土地の子」という意味です。この政策では各民族の比率に応じて、人事でも教育でも行うことが決められており、会社の役員にも必ずマレー人を入れなければならないし、大学の定員もマレー人の比率はほぼ55%が確保されなければならないので、現在ではマレー人のレベルも上がり、裕福なマレー人も多くなっています。

このような国であるので、街中に掲げてあるマレーシアの国旗は少し多いようです。外国ではあちこちに国旗が掲げてあるのはよく見かける光景ですが、日本ではオリンピックで国旗が揚がり、国家が流れると涙を流して喜ぶくせに、その他の状況では国旗を掲げると過激な愛国主義者に見られることもある不思議な国です。いずれにしろ、国家意識を持つことは大切なことと思います。外国に住んでみると、このことを痛切に感じますし、日本人であることに誇りを感じます。

また、マレーシアは王政の国家でもあります。国王が政治を行っているのではなく、マレーシアの13州と連邦区(クアラルンプールとラブアン島)で構成されるマレーシア国の元首は国王であると憲法に定められているそうです。13州のうち9州にサルタンと呼ばれる王様がおられて、この9人の王様の互選で国王が選ばれます。任期は5年で5年ごとに王様達による選挙があり国王が交代します。商店、郵便局、銀行、ゴルフ場のクラブハウスなどなど、至る所で国王と王妃の写真が飾られており、その隣に首相の写真も並べてあります。昔の日本にもそのような時代があったことを思い出します。

マレーシアの産業は、ゴム、パームオイル、錫、木材、胡椒などは世界一の輸出国ですが、これらの一時産品依存型から工業国へ脱皮しつつあります。また、産油国でもあるので、国営の石油会社をもつ政府の財政は豊かです。日本の企業も多く進出しています。若い人が多く、子供も多いので、これから益々発展する国でしょう。

さて、マレーシアの首都クアラルンプールは、高層建築が立ち並ぶ近代都市です。高速道路が縦横に走り、料金も安く、更に便利な道路があちこちで建築中です。市内の道路も高速道路も掃除がよく行き届いていて、非常にきれいです。今回久しぶりに帰国して、日本の道路の両端や中央分離帯に雑草が生い茂り、手入れがされていない道路を見て、その違いに驚くと共に、日本の行政の貧しさを感じました。

資料によると近代都市クアラルンプールは、1857年に錫を求めてゴンバック川とクラン川を遡ってきた87人の中国人によって作られたとあります。1857年といえば日本の江戸末期、NHKの大河ドラマ「篤姫」の時代でしょうか。クアラルンプールという名前は、マレー語で「どろんこの三角州」という意味だそうで、上記の川が交わったデルタ地帯がこの街の発祥の地ということになっています。アメリカの西部劇によく描かれているゴールドラッシュのように、クアラルンプールでは錫を求めて、主に中国人が押し寄せてきたのです。西部劇と同じような争いや、ギャンブル、アヘンなどの問題が当然のようにあったのですが、そこへ中国人のヤップ・アー・ロイが出現し、争いを取り締まったり、牢獄を作ったりして次第に統治が行われるようになり、既にイギリスの植民地であったので、セランゴール州の総督代理フランク・スウェットハムや、セランゴールの王様の義理の息子にあたるケダ州の王子トゥンクー・クディンの3人が力を合わせてクアラルンプール市を作り上げていったとされています。

このように発展の歴史を調べてみると、その生い立ちから多民族の都市であり、豊かで平和な多民族国家の核を作り上げたからこそ、現在の繁栄があったと思うのです。多民族国家なるが故に、それぞれが他民族の言葉を理解し、マレー語(最近マレー語ではなくマレーシア語と呼ぶことになった)、中国語と英語、インド語などが使用されるので、マルチリンガルの人たちが多く、これもマレーシア人たちの大きな知的財産になっています。これからも加速度的に進むグローバル化に、これほどまでに基盤ができている国も珍しいと思います。先ずはコミュニケーションツールである言語と私は思うのです。マレーシア人でこのことに気付いている人はまだ少ないと思います。しかし、英国の植民地であったインドでは英語が公用語として使用されていたため、インドの優秀な若者たちはコンピューター言語が英語であることに着目して、コンピューターの分野で活躍するようになり、今や世界のIT産業のトップレベルにあることはご存じの方も多いでしょう。コンピューターやソフトのプログラミングは当然のこととして、アメリカのパソコンメーカーやソフトメーカーのトラブルに対応するコールセンターが、アメリカの国内ではなく、インドにあることはあまり知られていないようですが、業界では有名な話です。

このようなことは、旅行ではなかなかわかりません。約2年住んでみて実際にいろいろなことを体験し、現地の新聞を毎日読んで初めてこの国が理解できると最近思うようになりました。そしてまた、この国を理解することによって、ますますこの国が好きになっています。クアラルンプールの日本人会で説明会に行ったとき、「車・インターネット・英語の三つはロングステイの最低条件」というようなことを聞きましたが、確かにこの3条件を整えている私は恵まれていると思いますが、運転免許を持たないことを自慢する男性や、英語は他力本願で元気にやっている人たちも結構いますし、インターネットもマレーシアの携帯電話料金は非常に安いので、日本との連絡は携帯電話でできますので必要性は低いのではと思います。誤解を避けるために補足しますが、マレーシアの携帯電話の維持費が安いのではなく、日本の携帯電話の料金システムが異常に高いということをご理解いただければと思います。

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